来春の統一地方選に向けて立候補予定者は秋口から年末に掛けて支持者周りや実戦への態勢づくりに入ってくるであろう。県議選での見所は自民党と「新政みえ」との間で議会の過半数獲得を最優先課題として位置づけ、候補の選考するだろう。
「新政みえ」としては定員二人の自民党独占区である志摩市の一角を崩したいが、山本教和氏と中嶋年規氏の地盤を切り崩し確実に勝てる候補の探索は難しいのか?未だに候補の名前すら挙がってこない。
元々、志摩市は保守基盤は厚く、大企業の進出もなく労組の組織は脆弱な事もあり「新政みえ」が候補の擁立の難しさは伺える。
志摩市の県議選の半世紀を振り返ると大王町の故山本幸一、故喜田喜太郎が独占、世代交代は昭和五十八年四月の県議選で故西尾文治、浜口光也、山本教和、故田畑楠利の四人の候補で競い西尾文治、浜口光也の両氏が初陣を制し、昭和六十二年には前回次点に泣いた山本教和が藤波孝生後援会の全面支援を受け雪辱を果たし西尾文治、山本教和が当選、浜口光也は、この敗北を機に政界を引退した。
この選挙戦に勝利で西尾文治、山本教和時代の幕開けをつくり、途中で大口秀和も名乗りを上げるも両候補の基盤を切り崩す事は容易ではなく、大口秀和は志摩町長に転出したが、西尾文治は常にトップ当選、続く山本教和の図式も平成十五年の県議選で西尾文治引退の後を受けて中嶋年規、山本教和、上村秀行の三人の出馬で山本教和はトップ当選を果した。この県議選から山本教和は追う立場から追われる節目の選挙となった。
山本教和は、この県議選で当選五回を記録自民党県議団では年齢こそ若いが当選回数では中川正美、西場信行らに次ぐ回数を延し重鎮と称される立場を築くが、その後、心境を揺るがすような動きも起こった。
師匠の衆議院議員藤波孝生の引退に伴い藤波は山本教和を後継者に指名すれば、田村元は子飼いの伊勢市の中川正美を推挙したことから自民党の分裂選挙?かと囁かれが当時の水谷伊勢市長、奥野小俣町長、辻二見町長、中北御園村長らが自民党県連に三ツ矢憲生の後任を要請した結果、三ツ矢の公認が下り、中川、山本両県議の国政への夢潰えた瞬間でもあった。
その後も中川、山本は、よく似た運命?の選択を追われた。
平成十六年の合併後の伊勢市や志摩市の市長選への出馬も云々されたが両氏は不出馬。来春の県議選でも中川正美も奥野英介の出馬で追われる立場なら山本教和も追われる立場に立った。
選挙は追う立場より追われる立場で戦う選挙は辛いとされ、守りながらトップ当選の宿命を背負っての戦いとなろう。
志摩市は自民党の独占区と言いながら山本教和と中嶋年規の関係は微妙なものが内面に存在する。一昨年の県議会役員選で自民党は山本教和を推挙、自民党県議団の長老組の岩名秀樹団長の会派運営への不満から、岩名引きずり工作に激怒した岩名秀樹は、会派から離れ藤田正美と無門会を結成すれば「新政みえ」は岩名を議長に推薦の奇策を図り自民党の山本教和との一騎打ちを演じ25対25の同数、くじ引きの結果、岩名議長の誕生させ、昨年は中嶋年規ら三人も自民党県議団から離脱、無門会と合流して未来塾を結成した、お陰で自民党県議団は正副議長選は三連敗の屈辱を味わう結果の不満は募り一昨年からの三連敗の恨みが、未来塾の五人の県議に重い処分申請も文書による注意では当選回数の多い県議らは、納得しがたい思いであろう。
自民党県連としても苦渋の決断であったであろう。
未来塾五人を除名したり、公認を取り消せば県議会の過半数獲得は夢の又夢に終る危険性を孕む処置は出来ない事情もあろう。
こうした背景を背負いながら迎える来春の県議選だが関心は「新政みえ」は志摩市の独占区に候補の擁立は出来るか否かである。
「新政みえ」の候補は遅々として進まず「新政みえ」は県議選の候補を見送るのではないか?の憶測は流れてきた。「新政みえ」も勝てる候補の絞込みは難く出すのなら、地元に馴染みのある女性候補か三教組系かを擁立できれば激しい選挙戦も期待されるが?(文中敬称略)


