近鉄グループは、伊勢志摩観光復活に賭ける意気込み、観光の拠点の賢島に温泉掘削、施設の新設など設備を充実させ、長期滞在型の宿泊の計画に着手し、鉄道を近鉄グループのリゾート施設・志摩スペイン村への最寄り駅である磯部駅から、阿児町鵜方駅に変更する方針で四月から実施する予定だが、磯部町の住民から約束が違うとの不満が出ており、今後の成行は注目される。
近鉄グループは平成二年、近鉄が主体となり出資金三億円を三重県や当時の磯部町らも出資、運営会社「志摩スペイン村」を設立、
「パルケエスパー二ャ」やホテルの建設などに八百億円以上の巨費を投じ完成させた。開業した平成六年には大勢の人波が押し掛け当時の志摩郡は、交通渋滞に巻き込まれ426万人もスペイン村に入場したが、この年をピークに観客は落込み最近は200万人を切る状況である。
志摩スペイン村の着工と同時に近鉄も賢島、鵜方、磯部駅を大改修を行い受入れ態勢を整えたが、スペイン村への来園は、マイカー族が主力で鉄道の利用客は予想を大きく下回った感じである。
当初からスペイン村の輸送拠点を磯部駅で降りたお客は、三重交通の路線バスで送迎していたが、開村当時から、なぜ、最寄り駅は遠い磯部駅で近い鵜方駅ではないのか?疑問を投げていたが、これに訳があり、平成三年二月に近鉄と当時の磯部町との協定書に「地域の発展に寄与するため、鉄道利用客への輸送拠点を磯部駅として、特急列車を停車させる」の条項がある。
この協定書を指して「約束は違う」との反発と特急列車が、停車しなければ、今でさえ寂れている磯部駅周辺は尚、寂れて行く不安もあろう。
旧志摩郡五町の合併論議を重ね、平成十五年頃から、スペイン村の最寄り駅には、志摩市の中心地となる鵜方駅の声が上がり始め平成十六年十月の志摩市誕生を迎え、鵜方駅は志摩市の玄関口であり大王,志摩、浜島町への交通の扇の要論からも鵜方駅を最寄り駅の願望の声は高くなってきた。
阿児町鵜方は地理的、交通的な便利さが買われ過疎化が、進む志摩市で人口増の傾向から駅前商店街も活気を帯びたが、規制緩和から大型店が郊外に進出してくると客足を奪われ、旧大通りや駅前商店街に空店が多く見られるように衰退の一途を辿り始めてきた。
鵜方駅前商店街の加入者も最高時には、140店舗以上も誇ったが、今では半数近くに減っている。
こうした沈滞ムードを打破するには、志摩市の中心地であり、玄関口である鵜方駅商店街の活性には志摩スペイン村の最寄り駅を鵜方駅にの要望の声である。
志摩スペイン村への乗降客や浜島、大王、志摩町の観光めぐりの観光客らで、駅前に活気が戻り鵜方駅周辺の商業施設も相乗効果の高まりへの期待もあった。
逆に磯部駅周辺には磯部町は、置き忘れされ町内が廃れるのではないかの不安である。
私鉄の王者、近鉄もバブルが弾け長引く不況から大々的な合理化を進め、近鉄劇場の閉鎖,OSK日本歌劇団の支援打ち切り、子会社の大日本土木の再建断念、津市の都ホテルや岐阜県長良川ホテルの閉館、志摩観光汽船の精算、プロ野球近鉄球団の撤退などの合理化を進め背水の陣で再建を目指してきた。
近鉄本社では一時、志摩スペイン村の閉鎖?も視野に検討の噂が聞えた時、社員の解雇も有り得ると危機感を覚えた。
その頃,スペイン村の不満は、高額な固定資産税を払いながらも自治体の協力体制への不満が、あるとも言われたが、閉鎖されれば志摩市から多くの失業者で溢れ、経済状況も危険水域に入るだけに多くの市民は存続を祈る思いであった。
スペイン村への最寄り駅は、磯部から鵜方への変更の成行にも注目されるが,個々の利害より大局観の判断は必要であり話合いで英知を絞るべきであり、地域の感情的な対立は避けるべきだが、交渉は難航して秋口?にずれ込みそうである。
最も妥協的な案として「最寄り駅は鵜方駅に変更するが、磯部駅にも特急を停車させる」では、ないだろうか?志摩市の観光復活の中心的な役割を背負うのは私鉄の雄の近鉄の復活は欠かせなく、その波及効果を他の観光施設にも及んでくれることでもある。


