合併による在任特例期間の満了(10月31日)に伴う志摩市議選は十月二十三日、投開票され、定数二十六の全議席が確定した。
昨年十月一日の合併時、13ヶ月の在任特例を適用し、旧五町の町議七十五人が市議になった。
今年の三月議会で議員が提出した議会解散の決議案が否決された事に住民の意志に添えなかったと八人が辞職し六十七人が在任していた。
今回の志摩市議選には定数二十六人に対して四十七人が出馬、激しい選挙戦を繰り広げた。当日の有権者数は4万09962人で、投票率は81・62%だった。
この市議選には昨秋の志摩市長選に出馬、惜敗した大口秀和前志摩、野名澄代前大王町長も出馬したが、大口秀和は2,599票獲得、悠々トップ当選を果せば、野名澄代も1,502票獲得、二位当選を果した。三位当選は市内全域から隈なく票を積み上げた松尾忠一氏が1,416票の獲得は見事であった。
定数二十六に対して四十七人が出馬し、二十一人もの落選者を出す選挙戦は、正月明けには歩き出し、議会の早期解散を求める署名運動が、展開された三月には有権者の三分の一を超える署名の可能性も高く、一時は四月解散、六月の市議選も視野に入り市議らも選挙態勢を強化し緊迫感も高まったが、署名は三分の一に僅か不足した?と署名提出を断念、議会での採決を求めたが、否決された。
選挙前の関心は前町長の大口秀和と野名澄代の獲得数?、乱立気味の阿児町安乗の四候補の当落、安定した票数を出すであろうと期待された公明党公認の獲得数、議会の早期解散を求め辞職した八人の候補の当落と話題は尽きなかった。
二十三日の開票場となった阿児アリーナには開票の午後八時前には各陣営から続々と支持者らが集まり固唾を呑んで開票作業を見詰めていた。
第一回の発表は午後九時、開票率9・6%、各候補100票で並ぶ中、ゼロ票は八人で早くも落選の気配が漂ってきた。
九時半には二回目の中間発表で500以上の候補二十人、400以下の候補二十七人で優勝劣敗が見え始めてきた。
三回目の発表で当落は次第に明白になってきた。先ず大口秀和が1,500と貫禄を見せれば、野名澄代、浜島町の松尾忠一1,300票と出し、有る程度の予想していた会場も森昶が1,300票出し場内から、驚きに近い表情は伺え、次いで中村八郎1,000、磯部町の森本紘正、上村繁子と続き、当選確実のランプは灯った。
これらの候補を追う形で900森本雅太、高岡英史も当確に達し山際優、畑美津子、中川弘幸、小森仁、三橋文夫、谷口覚、西崎甚吾、西尾種生、山下弘らも800を確保して十八人が、安全圏入りし残る議席は八議席で700票で出間敏和、松本忠男、井上裕允、杉本三八一、600には小河光昭、山本功人、杉木弘明、浜口勝寛、広岡安吉,小田幸道と続くが公明党候補二人の票の伸び悩みが会場内で囁かれた。
意外な展開は他にも出てきた?強いと見られた山崎達也、杉本三八一、共産党の坂口洋の予想外の苦戦であった。
公明党候補は先の衆院選で志摩市から約4,800票を捻出しており、少なくとも両者で3,000票は固いと見られていただけに二人の獲得数には驚かされた。
この市議選で光るのは浜島町から五人中、四人もの当選者を出した事であり、乱戦模様の礒部町から九人出馬して五人もの当選は健闘した部類であろう。
喜びに沸く陣営も居れば無念の唇を噛む陣営も居るが、次点に泣いた志摩町の福田和義氏は15票差、井上裕允氏は26票差、松本忠男氏は41票差は悔やまれる票差であった。逆に大口秀和氏の大量票に救われたのは小田幸道氏であり、共産党の坂口洋氏であった。
当選証書を受け取るや否や役員改選に向けて動きを強め特に議長選に向けて動き始めたのは西尾種生氏で説得工作が伝えられ、次いで畑美津子氏、杉木弘明氏、高岡英史氏の四人の候補の出馬が云々され、水面下で新議員の説得工作は熾烈を極めれば、役員選後の会派結成も急を告げているが、会派は役員人事の主導権を握るものの会派ではなく、純粋な政策会派であって欲しいと市民は、役員選や会派に、ようやく死線を浴びせてきた。
合併在任特例で一時は七十五人もの議員は居たが、今回の市議選で二十六人とスリムとなったが、これからは議員としての資質が問われる四年となるだけに見応えのある質疑応答を期待したいものである。


