宮崎建設工業㈱は今秋から志摩町和具沖合いに定置網の操業を始める。和具定置網の歴史を振り返ると昭和30年当時、故松井保三氏が寒鰤の大漁?の夢を馳せ免許獲得に血を吐く思いの末、念願叶って波の荒い太平洋に定置網を仕掛けた。
この漁場は航海するタンカーや運航船には魔の関所と恐れられ潮の流れも並ではなく操業日数も少なく、赤字続きの経営であった。
松井保三氏亡き後、幾多の組合長も入れ替わったが、安定した水揚げは期待出来ない状況は続いていた。
この松井保三氏の後を長く続けたのは故河村楠司氏であった。赤字に悩みながら継続?の夢は捨てられず和具定置網を存続を条件に南島町奈屋浦の清洋水産に権利を十年間譲渡し、年間の使用料で蓄積された負債金額の返済に充ててきたが河村楠司氏が、逝去され清洋水産の期限が切れ再更新の手筈であったが、和具漁協内の一本釣り漁業者から不満から同意は得られなかった。清洋水産は定置網の他にもまき網漁業も経営しており、県下随一の水揚げを誇る業業会社であるが、和具漁協の組合員の間では漁業権内の魚を、まき網の灯船で外洋の導き一網打尽で漁獲?するとの不満が、清洋水産の定置網漁業の継続を阻止した理由だと関係者は言うが、定置網が廃止された事で、和具漁協の水揚げ減?もあり鮮魚商からも定置網漁業の復活を望む声も上がり始めていた。
和具沖合いの張り巡らされる定置網は大型定置網で十月頃から初夏の訪れる六月頃まで張り込まれ、和具定置網漁を運営する宮崎建設工業㈱は戦後、先代の故正夫氏が創設、海事工事を主に請負い急成長を遂げ、二代目健之助氏は、先代の志を継ぎ安定経営を貫き今は、社長を長男に譲り会長職に就任した。
清洋水産が和具定置網から、撤退後は和具漁港の水揚げも芳しくなく定置網漁に海産物を扱う業者らの期待も高い。創業当時の定置網漁は四十人もの従業員も必要であったが、今は機械化され大幅に人件費は節約され、安定経営は期待される。


